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2002年12月号
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イタリアあの人この人
「エイコ・コンドー」、浮世絵の目録作成に捧げた青春
近藤映子。1945年広島に生まれる。広島大学哲学科博士号取得後、ダンテ・アルギエーリ協会の奨学金を得てイタリアのボローニャ大学でルネサンス芸術・哲学を学び、日本帰国後は国立音楽大学でイタリア語を教える。再び、1969年イタリアに渡り、ナポリの近くエルコラーノでパピルス研究をする。その後、ボローニャ大学で演習などを行うかたわら、ジェノバのキオッソーネ東洋美術館で浮世絵の整理に携わったことをきっかけに浮世絵研究の道へ。2001年5月急逝。
※近藤映子さんの最後の仕事となった上方浮世絵展が1月末までローマで開催されている。
詳しくはこちらへ。 |
イタリアにある浮世絵の目録を作り、それにイタリア語の解説をつけている日本人研究者「エイコ」とは、3年ほど前に彼女がローマに仕事で立ち寄った際に、私は昼食を共にしたことがある。50代の小柄な地味な女性のイメージが今も脳裏に残っている。 その彼女が、昨年の5月16日、疲労がもとで入院・急死。イタリアの日本研究の仲間は彼女がやりかけていた仕事を引き継ぎ、完成した。それが、ロー
マのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の近くにある国立東洋美術館で現在開かれている「上方歌舞伎の花形役者たち」という上方浮世絵展である。
哲学の研究から、文献学、そして浮世絵の目録の作成へ。あるいは、日本の大学の講師の安定した地位を捨てて生活不安定も覚悟の上でのイタリアで研究者に。「エイコ」という呼び名で知られた近藤映子の人生は一見気紛れに見えるが、哲学や文献学のしっかりとした基盤があってこそ、浮世絵の目録・解説作りという綿密な作業ができたのにちがいない。イタリアで活動し、イタリア人に尊敬され、好かれた日本人の先輩。これからイタリアで生きていく人にも参考になるだろう。「エイコ」は仕事の合間、仲間を自宅に招いて巻寿司を作って食べさせてあげる、優しい女性だったそうだ。
Mayumi Sasao
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